関白宣言 ~3分小説~
『関白宣言』 読む時間:3分30秒くらい
数年ぶりに家に戻ると、母は既に息を引き取っていた。突然の死だった。
体調を崩していたとは知っていたが、深刻ではないと聞いていた。
居間に敷かれた布団で眠る母に、現実味を感じられなかった。
「朝起きたらもう、息してなかったんだって」
泣きながら姉が、僕に言った。腫らした目のせいなのか、年月のせいか、姉は随分と老けて見えた。
「喪服は持ってきたのか」
父の声が、腹の下に暗く響いた。久しぶりに覗いた父の目は、あの頃と変わらず息苦しくさせた。
大学で家を出てから、家にあまり寄り付かなかった。
仕事人間の父とは、物心ついた時からあまり話すことはなかったし、何よりも亭主関白な父が作り出す家の雰囲気が、嫌いだった。
死んだ母が居間に横たわる光景と、淡々と葬式の準備を整える父が、長旅の疲れを助長した。
「ちょっと休む」
僕は逃げるように自室へ向かった。
久しぶりに横たわるベッドで、すぐに意識は途切れた。
どれくらい寝ただろう、目を覚ますと外は既に暗かった。
気まずさを引きずりながら、階段を下り居間へ行くと、父が電話越しに誰かと話していた。
「ええ、ええ、ご迷惑をお掛けして大変申し訳ございません・・・」
仕事の電話だろう。普段とは違う声色がそれを示していた。会計士の父にとって今は繁忙期のはずだ。誰が見ているでもないのに、電話越しに頭を下げる父が昔の記憶と重なり、嫌気がさした。
電話を切ると、父が小さく息を吐いた。
「・・・こんな時に死ぬなんてな」
ぽつりと呟いた父の言葉が、じんわりと心を黒く染めた。気づけば父の胸倉を掴んでいた。
「なにがこんな時期にだ! 母さんはな、てめぇの仕事の都合を気にして死ななきゃならねぇのかよ!」
父は、歯向かった僕に一瞬驚いた様子だったが、何も言わずただ僕を見た。そんな態度が、僕を更に逆撫でた。
「てめぇのその糞みたいな亭主関白さがな、母さんを殺したんだよ!お前が殺したんだ!」
僕は父を殴った。一発殴っても、二発殴っても、憐れむように睨む父の目が僕を攻めていた。
「勝也! あんた何やってんのよ」
二階で休んでいた姉が、物音に気付き駆け付けた。姉は、暴れる僕を外へ連れ出した。
醒めない怒りに言葉を荒げながら、姉に経緯を吐露した。同情を予期していた僕に、姉は意外な言葉を発した。
「・・・父さんはそんな意味で言ったんじゃないわ」
姉は、諭すように僕が家を出てからの数年間のことを話した。
父が母の体調を気遣い、早期退職していたこと。
仕事を辞めてから、恩を返すように母に尽くしたこと。
来週から母と初めて海外旅行に初めて行くはずだったこと。
そして恐らく父が、先ほどの電話でそれをキャンセルしていたこと。
話を終え、姉が家の中に戻っても、僕は玄関前に座っていた。罪悪感と不甲斐なさで身動きが取れなかった。
しばらくして背後のドアが開いた。父が僕の横を通り過ぎ、目の前で立ち止まった。
腫れた顔を見られたくなかったのだろう、父は背中越しに言った。
「中に入れ」
「・・・ごめん」
絞りだした声が夜に溶け、少し沈黙続いた。
「気にするな」
父は俯く僕の横に手紙を置いた。
「お前の言う通りな、俺は亭主関白だ」
「え?」
「結局、かみさんには逆らえないってことだ」
恥ずかしそうにそう言い残し、父は家へ入っていった。
父から渡された手紙は、母の遺書だった。遺書には、こう書かれていた。
『それから、お父さん、勝也と仲良くして下さいね、お願いします。』
【関白 政治の官職であり、実質上の公家の最高位。しかし、あくまで最終的な決裁者は天皇(上様)にある】
モノ ~勝手にCMの話~
*「勝手にCMの話」は、別に誰にも頼まれていないのに勝手にCMを作る話です
読む時間:だいたい3分14秒
「あんた、市役所の人が・・・こんなの持ってきてくれたよ」
お婆さんが、居間で詰将棋をしていたお爺さんに話しかけた。
お爺さんは、目線と首をだけを動かし、お婆さんを見た。
お婆さんは手に持った一枚の紙を、切なそうな笑顔で見て、お爺さんに渡した。
「なんね、これ」
渡された紙は、野ざらしにされた紙特有のザラついた質感で、四隅は反り返り、所々土がこびり付いていた。
『久我原家 1983』と読める文字が左隅に書いてあった。見覚えのある文字だった。
裏を返すと、酷く色あせた結婚写真だった。恐らく、お爺さんとお婆さんではければ、それが結婚写真であることも解らないほどに、朽ちていた。
「・・・今更こんなもん出てくるんか」
「港側の道路整備で出てきたって、わざわざ持ってきてくれたんよ。久我原なんて苗字、この辺でお宅だけだからって」
「どうせなら、貯金通帳でも出てくりゃよかったのにな」
お爺さんはぶっきら棒に写真を突き返し、再び将棋盤に目を落とした。
その写真は、幾年か前のあの日に奪われたものだった。家も、家族も、友人も、残してきた思い出も、その先の希望も、何もかもが、揺れと波に奪われたあの日。
あの日が唯一返してくれた、朽ちた結婚写真だった。
夜、風呂上りにお爺さんが居間に戻ると、背中を丸めてお婆さんが座っていた。
背中越しに表情はわからない。泣いているのか、微笑んでいるのか、ただ、お婆さんの目線の先にあの写真があるのはわかった。
あくる日、お爺さんは文房具屋に行った。
「先生、お久しぶりです」
文房具屋の店員がお爺さんに話しかけた。
「定年したんだ、先生はやめろ」
お爺さんは不貞腐れた顔で会計を済ませ、店を出た。
「また来てくださいよ、先生!」
お爺さんは、返事の代わりに小さく右手を上げた。
あくる日の朝、お爺さんは朝早くに家を出て、夕方には家に戻ってきた。
そのあくる日も、そのあくる日も、日中は家に戻らない生活を繰り返した。
夕飯時、お婆さんは怪訝そうな顔でお爺さんを見た。
「あんた、その手どうしたん?」
お爺さんは素早く手を隠した。
「なんでもない」
お爺さんは手をポケットに突っ込みながら、洗面所へ向かった。
季節が一つ過ぎたある日、夕飯の支度をしているお婆さんにお爺さんが紙を渡した。
お婆さんは渡された紙を見て、泣いた。
泣いて、泣いて、そのあと笑った。
数十年前の吉日、お爺さんとお婆さんは結婚した。職場結婚だった。その時代、お婆さんは国語の先生で、お爺さんは美術の先生だった。
「やっぱりうまいもんやねぇ、久我原センセ」
お爺さんは背中越しに、小さく右手を上げた。右手は鉛筆で黒く汚れていた。
お婆さんは紙の上に、丁寧に描き込まれ、再現された、
あの日の結婚写真の絵を、大事そうに眺めた。
お爺さんが使い古した筆箱を開けた。小さくなった消しゴムが幾つも入っていた。
そこに封を切った、新しい消しゴムを入れた。
『けして消えないモノのために、MONO消しゴム』
おわり