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モノ ~勝手にCMの話~

*「勝手にCMの話」は、別に誰にも頼まれていないのに勝手にCMを作る話です

 

読む時間:だいたい3分14秒

 

「あんた、市役所の人が・・・こんなの持ってきてくれたよ」

 

 お婆さんが、居間で詰将棋をしていたお爺さんに話しかけた。

 お爺さんは、目線と首をだけを動かし、お婆さんを見た。

 お婆さんは手に持った一枚の紙を、切なそうな笑顔で見て、お爺さんに渡した。

 

「なんね、これ」 

 渡された紙は、野ざらしにされた紙特有のザラついた質感で、四隅は反り返り、所々土がこびり付いていた。

 『久我原家 1983』と読める文字が左隅に書いてあった。見覚えのある文字だった。

 

 裏を返すと、酷く色あせた結婚写真だった。恐らく、お爺さんとお婆さんではければ、それが結婚写真であることも解らないほどに、朽ちていた。

 

「・・・今更こんなもん出てくるんか」

 

「港側の道路整備で出てきたって、わざわざ持ってきてくれたんよ。久我原なんて苗字、この辺でお宅だけだからって」

 

「どうせなら、貯金通帳でも出てくりゃよかったのにな」

 

お爺さんはぶっきら棒に写真を突き返し、再び将棋盤に目を落とした。

 

 その写真は、幾年か前のあの日に奪われたものだった。家も、家族も、友人も、残してきた思い出も、その先の希望も、何もかもが、揺れと波に奪われたあの日。

 あの日が唯一返してくれた、朽ちた結婚写真だった。

 

 夜、風呂上りにお爺さんが居間に戻ると、背中を丸めてお婆さんが座っていた。

中越しに表情はわからない。泣いているのか、微笑んでいるのか、ただ、お婆さんの目線の先にあの写真があるのはわかった。

 

 あくる日、お爺さんは文房具屋に行った。

「先生、お久しぶりです」

文房具屋の店員がお爺さんに話しかけた。

 

「定年したんだ、先生はやめろ」

お爺さんは不貞腐れた顔で会計を済ませ、店を出た。

「また来てくださいよ、先生!」

お爺さんは、返事の代わりに小さく右手を上げた。

 

 あくる日の朝、お爺さんは朝早くに家を出て、夕方には家に戻ってきた。

 そのあくる日も、そのあくる日も、日中は家に戻らない生活を繰り返した。

 

夕飯時、お婆さんは怪訝そうな顔でお爺さんを見た。

「あんた、その手どうしたん?」

お爺さんは素早く手を隠した。

「なんでもない」

お爺さんは手をポケットに突っ込みながら、洗面所へ向かった。

 

 季節が一つ過ぎたある日、夕飯の支度をしているお婆さんにお爺さんが紙を渡した。

 

 お婆さんは渡された紙を見て、泣いた。

 泣いて、泣いて、そのあと笑った。

 

 数十年前の吉日、お爺さんとお婆さんは結婚した。職場結婚だった。その時代、お婆さんは国語の先生で、お爺さんは美術の先生だった。

 

 「やっぱりうまいもんやねぇ、久我原センセ」

 

 お爺さんは背中越しに、小さく右手を上げた。右手は鉛筆で黒く汚れていた。

 

お婆さんは紙の上に、丁寧に描き込まれ、再現された、

あの日の結婚写真の絵を、大事そうに眺めた。

 

お爺さんが使い古した筆箱を開けた。小さくなった消しゴムが幾つも入っていた。

そこに封を切った、新しい消しゴムを入れた。

 

『けして消えないモノのために、MONO消しゴム』

 

         おわり